牛乳

mitsubachi

2023年12月09日 23:15



先日、中学生の生徒さん達に

「将来なりたい職業はある?」

という質問をしたのですが(なりたい職業が決まっている生徒さんもいれば、まだまだ考え中という生徒さんもいましたねぇ)職業といえば、時々生徒さんや保護者様から聞かれるのが

「先生は、どうして学校の先生にならなかったのですか?」

という質問です。

この質問をしてくる保護者様や生徒さんの大半は、もう何年も教室に通っていて、かなり付き合いの長い方達です。

なので、実は聞いてみたいんだけど、なかなか聞きにくいと思っている保護様や生徒さんもいたりするのな~?と思ったので、今回ブログに、私が学校の先生ではない理由を書いてみようと思います。

そもそも、私は学校の先生になりたいと思った事が一度もありません。

なぜならば、酪農家の方々には大変申し訳ないのですが、私の人生最大の弱点は牛乳と言っても過言ではないからです。

つまり、どう頑張っても牛乳が飲めないんですよ。(アレルギーとかではないんですが。)

砂漠に一週間放り出され、もう牛乳しか飲む物が無い、これを飲まねば命の保証は無いというくらいまで追い込まれれば何とか飲むかもしれませんが、そんな状況でもなければ仮に命の恩人に

「さぁ、この牛乳をお飲み。」

と、差し出されても、

「ごめんなさい。飲めないんです。」

と言って断る自信があります。

だから私は学校の先生になりたいと思った事など一度も無いのです。

て、何それ?どういう事?ふざけてるの?

と思った方もいるかもしれませんが、違います。大真面目です。

だって、小学校とか中学校の先生って教室で子供達と一緒に、給食を食べなきゃいけないじゃありませんか。

で、その給食には、毎日毎日飽きもせず、牛乳が出てくるじゃありませんか。

今はそんな時代じゃないのかもしれませんが、私が小学生の頃は、給食は全部食べ終わるまで、ずっと机に座って食べ続けなければならなかったのです。

そして、更に悪い事に、私が小学校四年生くらいまでは、給食の牛乳は、半透明の三角錐のパックに入れられておりまして。

まぁ形は、三角錐だろうが四角柱だろうが、なんだって良いんですけれども「半透明」てのが最大のネックでして。

要するに、ごまかしがきかないのです。

半透明じゃない紙パックに入っている牛乳だったら、ちょっとくらい残しても大丈夫だったのかもしれませんが、半透明だったがゆえに、全部飲みきったかどうかは一目瞭然でして。

ちょっとでも残したらバレバレだったから、毎日飲み干さないといけなかったんです。

もうね。重ね重ね酪農家の方々には申し訳ないにもほどがあるのですが、本当に地獄でございました。

だって、本来なら命の恩人にすすめられたって飲むのを断るくらい苦手な物をですよ?毎日毎日、飲みほさなきゃいけないんですよ?

ほとんど毎日、掃除の時間になっても飲みきれず、一度だけ、給食の時間内に飲みきった時は、クラスの皆から拍手を貰いまして…。

それくらいダメなんですよ。

今でも高原で売っているバニラアイスとか食べられないですもん。(高原のアイスって大半は牛乳が多めに入っていると思います。)なんなら牛肉も、物によっては牛乳のにおいがするので苦手です。

も~私の生涯の天敵なんじゃないかってくらい牛乳とは相性が悪いのです。

それなのに、毎日毎日給食に出てくるとか、どうなっているんだと思いました。

黒豆の煮物とかみたいに、ごくごく稀にしか出てこないとか、野菜みたいに、ちょいちょい出てくるけれども、よそる時に少なめにしてもらえるとかならまだしも、牛乳はほとんど毎日出てくる上に、少なくしてもらう事さえ出来ないのです。

というわけで、小学生の頃の私は思いました。

「将来大人になってまで、こんな苦痛を味わうなどまっぴらごめん。学校の先生にだけは、ぜっったいにならない!」

私にとって、学校の先生とは、将来どんな事があっても、ぜっったいになりたくない職業ナンバーワンだったのです。

天敵が牛乳じゃなくて、たまにしか登場しない黒豆とかだったら、もしかしたら

「将来は学校の先生になりたいな。」

とか思ったのかもしれませんが、毎日毎日登場する牛乳が相手では、そんな事はどう頑張っても思えなかったのです。

そんな私がなぜ学研の先生をやっているかと言えば、元々は、大学生になった時に、自分が子供の頃に通っていた塾の先生(この方は色々な意味で私の恩師です。)から

「大学に進学したのならウチで塾の講師のバイトをしてみないか?」

と誘われたのがきっかけでした。

最初は

「私に先生なんて出来るかな…。先生なんてなりたいと思った事がないのに…。」

と凄く不安でしたが、

「やって貰うのはマンツーマンの講師だから大丈夫だよ。生徒さんの分からない所を教えてあげて。」

と恩師に励まされ、恐る恐るやっているうちに、自分の説明が生徒さんに分かって貰えたりとか、生徒さんの成績が上がったりすると、凄く喜んでいる自分に気付いたのです。

今でもその気持ちに変わりはありません。

ただ、今は単純に成績云々だけではなくて、生徒さんが「先生のお話を聞けるようになってきたな」とか「前よりずっと集中出来るようになってきたな。」とか「間違えても諦めないで頑張れるようになってきたな」とか、そういった内面の成長が見られると、凄く嬉しいですね。

で、まぁそんなこんなで

「塾の先生って良いな」

て思ったんです。子供達の成長に関わる事が出来るし、何より牛乳を飲む必要がありません。

大学を卒業してからは、実は二年ほどOLをしていた事もあるのですが、

「やっぱり塾の先生がやりたいな~。」

と思って、一度辞めた恩師の所に舞い戻り、学研の先生になるまでは、その塾で、ずっと働いていました。

学研の先生を始める前も10年くらい塾の先生をやっていたので、なんのかんのと、この仕事が好きなんだと思います。

そりゃ仕事ですから、大変な事もありますし、時には
「もう辞めたい」
と思うこともあるんですけれども、そこはあれですよ。
「非認知能力」
を育てる学研の先生ですから
「非認知能力」の一部である
「やり抜く力」とか「回復力」とかは持ち合わせているんじゃないかと思います。

学研の先生をやっていると、社会で生き抜く為には「非認知能力」て大切だよなと、つくづく思います。

私の教室の生徒さんには、学力はもちろんですけれども、非認知能力と呼ばれる、諦めない力とか、自己肯定感とか、思いやりとか、そういったものを身につけて欲しいと思います。

そのために、今後も指導を頑張ります。

それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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