ほめない指導
いくつか前のブログで「ほめる指導」という記事を書き、その時に
「お子さんによっては、ほめるって凄く大変なんです」
みたいな事を書いたのですが、今回は、それよりも更に難易度の高い「ほめない指導」について書きたいと思います。
ちなみに、私に、この指導は出来ないですね。
私は、思ってもいないようなほめ言葉は言えないタイプの先生なんですが、それでもほめるハードルは低いと思います。
私が生徒さんをほめる時の基準は一つ。
「生徒さんが生徒さんなりに成長した時」
これだけです。
例えば、掛け算九九が言えなかった5年生の生徒さんが言えるようになった。
こんな時でも、私はほめます。
字を全く丁寧に書けなかった生徒さんが、一文字でも綺麗に書いてきた。
そんな時でも、私はほめるのです。
だって、そこには生徒さんの成長がちゃんとあるから。
どんなに小さな事でも、成長を認める事が出来れば、私はほめるんです。
だって、そういう時、私は心の底から
「偉い!よくぞ成長してくれました!」
と思っているからです。
ず~~っと、字を丁寧に書けなかった生徒さんが、何ヵ月かの指導を経て、一文字でも丁寧に書けるようになったら、本気で感動しちゃうんですよ。
私は、本当に思ってもいないほめ言葉は言いません。でも、ほめるハードルは低いんだと思います。
そんな私からすれば、ほめない指導なんていうのは、もはや神の領域に等しく、絶対出来ない事だと思うのです。
それなのに、それをやってのけている先生が、私の身近にはいるんですよ。
それが、息子が長年お世話になっている、某音楽教室の先生なんですけれども。
今でこそ、某音楽教室でのピアノレッスンは、息子と先生が一対一でやっていますが、入会してから3年くらいは、親も一緒に教室に入ってレッスンを受けていました。
その時に私は思ったのです。
「そういえば、先生が子供達(最初はグループレッスンだったのです。)をほめているのを聞いた事が無いかも。」
と。
本当に
「頑張ったね」とか「上手に弾けたね」とか「良く出来たね。」とか、ピアノの先生が言いそうなほめ言葉を、一切言いませんでした。
息子がピアノを始めたのは年中さんからで、同じグループにいる他の生徒さん達も、同じくらいの年頃なのだから、もう少しほめ言葉を言ってくれても良いのではないか?と思っていました。
しかしある時、私は気が付いたのです。
演奏が終わり、先生が
「うん。」
と頷いた時は、ちょっと良く出来たと思っているのではないかと。
また、先生が
「よし。」
と言った時は、かなりちゃんと弾けたと思っているのではないかと。
これらの事に気付いてからは、先生が「うん。」とか「よし。」(よし。は滅多に出ませんでしたが。)とか言った時は、レッスン終了後に
「今日は上手に弾けたね~。先生も、うんって頷いてた!」
と言って、私が息子をほめていました。
なので、私は先生の事を
「ほめないタイプの先生なのかな。」
と思っていたのですが、ある日、息子がレッスンの後、私に言ったんです。
「今日ね、先生にほめられたよ!この曲を僕の年でちゃんと弾けるようになる子はそんなに沢山いないのに、頑張ったねってほめられた!」
息子の言葉に、私は驚きました。
だって先生が、ちゃんと文で息子をほめてくれたのは、この時が初めてだったからです。
この時、息子は既に4年生になっており(通い初めてから5年以上が経過していました。)息子が言った「この曲」とは、ベートーベンのエリーゼのためにです。
3年生の時に、息子が
「どうしても弾きたい」
と先生に直談判して、何ヵ月も練習して、やっと弾けるようになったんです。
この時、先生は初めて息子をほめてくださいまして。(これが今のところ、ほめ言葉らしい唯一のほめ言葉です。これ以降もほめて貰った事はありませんねぇ。)
そして、私は気付いたのです。
「息子のピアノの先生は、ほめのハードルが恐ろしく高い先生だったのか!」
と。
いやでも、芸事の先生というのは、このうような先生が多いのかもしれません。
自身も厳しい練習の中に身をおき、必死に頑張ってきた先生でしょうから、ちょっとやそっとじゃほめ言葉なんぞ出ないのは当然なのかもしれません。
それでも「ほめる指導」が主流のこの時代に、そんな事で大丈夫なのか…。と同じ指導者として心配になりますが、おそらくそんな心配は無用です。
なぜならば、私の息子は、そんなピアノの先生が大好きだからです。
高校生になっても、まだピアノを続けたがる息子に、
「一体いつまで続けるつもりか?」
と聞いた事があるのですが
「先生が辞めるまでかな。」
と言っていました。
「先生の事、大好き!」
とか言った事は一度も無いのですが、息子の何気無い言動から先生が好きなのは分かります。
全くと言って良いくらいほめてくれない先生なのに、なぜ、息子がこんなに先生を慕っているかといえば、先生は、息子の思いに真摯に向き合ってくださる方だからだと思います。
発表会や、公開試験など、年に何度か皆の前で演奏をする事があるのですが、私の息子は図々しいので、演奏する曲は、
「これが弾きたいです。」
と毎回自ら先生にお願いしています。
でも先生が
「ダメ」
と言った事は無いんですよ。
息子の選ぶ曲なんて、な~~も考えずに、本当にその時に弾きたい曲を選んでしまうので、親の私からすると
「少しは自分の力量を考えなさいって!絶対弾けるようにならないじゃん!」
とか
「こんなに表現力が要求される曲を選んでどうするんだ。止めときなさいって!」
とか思うような(思うだけではなく、口に出して言っていましたね。)曲ばかりだったのですが、先生は息子に絶対に
「この曲は、まだ難しいからダメ。」
とは言わなかったんです。いつも必ず
「本人が弾きたいというなら弾かせましょう。どうしても指が届かないとか、弾けない所は、音を抜いたりとかしましょう。」
と仰ってくださいました。
自分が弾きたいと希望した曲に、先生がゴーサインを出してくれると、息子は、ほめられるよりも、ずっとずっと嬉しそうにしていました。
おかげて、私は発表会のたびに胃が痛くなる思いで、息子には
「ママの反対を押しきって自分がどうしても弾きたいと言った曲なのだから、ちゃんと練習をする事。あなたを信じてゴーサインを出してくれた先生を裏切るような事は絶対にしてはいけない。」
と言っていました。
すると息子は、いつも決まって
「発表会で先生に恥をかかせるような事はしない。」
と言って、実際、練習はかなりちゃんとやっていたと思います。
それでも、選んだ曲が曲なので、いつも発表会ギリギリまで仕上がらず(去年なんて、発表会の前に指を骨折して、挙げ句、入学式だなんだで忙しく本当に仕上がりませんでした…。)本当に胃が痛くなる思いでしたが、きっと先生だって、それは同じだったと思います。
息子のピアノの先生は、言葉では全然ほめない先生ですが、いつも息子を信じて、息子の手を取り、そして背中を押してくれる先生なのです。
こんな先生、好きになるなってほうが無理だと思います。
だから息子は先生の事が大好きなんですよ。
「自分の事を信じて貰える。」
という絶対的な実感が得られれば、そこに言葉なんかなくても、子供は先生を慕うんだと思います。
でも、こんな指導、相当肝が座ってないと出来ないし、勉強と芸事では、やはり違うのだと思います。
だって勉強の先生が、生徒さんを信じて送り出す時って、入試くらいしかない気がするからです。
しかも、入試なんて下手すりゃ人生を左右してしまうので、生徒さんがめちゃくちゃ高い目標をかかげて来たときに
「大丈夫だ。頑張れ。」
と背中を押せる先生なんて、そうそういない気がします。
だから、私がピアノの先生と同じ指導を目指すのは違うと思うんです。
違うとは思うのですが、でも、やっぱり凄いなって思っちゃうんです。
親でさえ信用していない息子の事を信じて、文字通り舞台に立たせるんだから凄いですよ。
私の息子は、舞台度胸だけはある子なのですが、これはもう絶対にピアノの先生が育ててくれた物だと思っています。感謝してもしきれません。
私も、生徒さんを信じて、
「その問題出来るから。今の君なら絶対出来るから。頑張れ。」
とか言う事もあるんですけれども、なんせ発表会の舞台と、授業中に解く問題では、信頼度のスケールが違い過ぎて、いまいち私の気持ちは伝わっていない気がします。
もう
「信じてるから頑張れ!」
とか言っても
「いやいや。そんな信用いらないから。さっさと解き方を教えてくださいよ。」
とか思われている気がしてなりません。
まぁでも、本当に出来ると思っている時は教えないんですけどね。
で、教えなくても、なんのかんの解けちゃうんですけどね。
で、解ければ解けたで、生徒さんて嬉しそうな顔をするんですけどね。
しかし、だからと言って
「先生が自分の事を信じてくれた!嬉しい!」
とはあんまりならない気がします…。
だから、すかさず
「ほら!出来たじゃん!頑張ったね!偉い偉い!」
とか言っちゃうんですけどけね。
ほめない指導なんて、私には到底無理だと思います。
でも、それをやってのけているのが、息子のピアノの先生なわけでして。
芸事の先生が、皆が皆、息子のピアノの先生みたいな感じではないと思うんです。
本当に肝が座っていないと出来ない指導だと思うんですよ。
それが出来ちゃう息子の先生って本当に凄いと思います。
畑が違うから、同じようにはいかないかもしれませんが、私も生徒さんの事を信じて指導をしたいと思います。
これからも精進して頑張ります。
それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。